夜の梅 篇
2008年3月23日(日)
昨日、今日とぽかぽかの暖かさで、花々が一斉に咲きました。22日(土)には東京でソメイヨシノが開花したそうで、春も本番ですね。主役交代ということで、これまで目を楽しませてくれた梅の花期も終わりに近づいています。いま元気に咲いている木もありますが、大半はもう散っています。梅は別名、春告草とも呼ばれるそうなので、十分に春を告げて役目を果たした、ということでしょうか。
梅に関連して、当方下記のような文章を昨年1月22日のブログ記事に、書きました。
・・・梅はもう咲いています。横浜でも府中市でも、多分日当たりが良い場所に
植わっている木だろうと思いますが。最初は1-2輪が目立たずに、そのうち
三々五々まつげのようなおしべを震わせて冬空の下で(艶やかさを内に秘めつつ)
凛として咲きます。
その周りには、細い枝に小さい蕾たちがぽぽぽぽぽぽっと鈴なりになっていて、
自分の番が来るのを今や遅しと待っています。
余談ですが、この時期勤め先からの帰宅途中に梅の下を通りその香りをかぐと、
とらやの「夜の梅」を食べたくなります。(当方、自分はあまり甘党ではないと思って
いますが、分厚く切った「夜の梅」を歯でにゅたっと噛み、塊りを頬ばると、口の中に
甘さと香りが広がるのが快感です。)あのネーミングは良いと思う。・・・
そう、そのネーミングのことですが、上記の記事を書いた時点では、当方どうして羊羹に「夜の梅」という名前が付けられたか、理由を知りませんでした。その後、若い友人Hさんの奥様に命名の由来を教えられ、ほーそうかぁ、と思った次第。これは、とらやのホームページにも出ていますので、その文章をここに記しますと、
・・・「夜の梅」の銘は、羊羹の切り口の小豆が、夜の闇にほの白く咲く梅を
表すことから付けられました。元禄7年 (1694) に初めて記録の出てくる古い
菓銘で、羊羹としては文政2年 (1819) の記録が最初のものです。
大正12年 (1923) には商標登録を済ませ、今日ではとらやを代表する商品と
なっています。
・・・なのだそうだ。
そこで、物見高いNick としては、是非「夜の梅」と「夜の闇にほの白く咲く梅」を見比べてみたい~、との想いにかられまして、今年やってみました。
「夜の梅」と言うと、例えば、こんなイメージがあります。
でも、これらはフラッシュでの撮影なので、くっきり見えすぎる。
「夜の梅」が羊羹の名前として文献に出てくるという文政2年 (1819) のころには街灯はなかった(あっても行燈風のもの)でしょうし、提灯の明かりや月明かり星明りで見える程度で、夜の闇にほの白く咲く、というのだと、こんな感じでしょうか。
しかし、こんなにたくさん小豆が入っている訳はないので、う~む、
数としては・・・ これ位かな。↓
それで、確かめるため、とらやの羊羹「夜の梅」を買って来た。
小さい板状のものや、細い棹のものもありましたが、やはり口中に頬ばるためには、太棹でなけりゃ、と頑張ってこれを買いました。桐の箱?に入った更に巨大な棹もありましたが、それにはさすがに手が出なかった(ぐすっ)。
包装紙を外すと、竹の皮の包みが現れる。
竹の皮を剥(は)ぐと、フォイル紙に密封された羊羹があり、フォイル紙を剥(む)くと、黒くつややかな羊羹の肌が露わになる。さあ、いよいよ入刀です(・・・って結婚披露宴じゃないんだから)。
ここですね。切り口の小豆が、ほの白く・・・。う~む、夜の闇ばかりのような気がする。真っ暗だ。白梅はどこ?
実際の梅でいうとこんな感じか。
あ、それでも良く良く見ると・・・
5個ほどあるのが分かる。
この角度の方が白梅っぽく見える、かな。
実際の梅では、これくらいか。
期待としては、もう少し多い梅が見えたかった(上に掲げた4枚目の写真くらい)ので、ちょっと残念だ。
「おい、おい Nick さん。」
「おっ、ご隠居さん。こりゃどうも。」
「どうもじゃないよ。いま聞いていれば、何ですか。梅が少ないとか、文句を言っていたな。」
「あれっ、聞こえちゃいましたか。いや、そうなんですよ。『夜の梅』って名前をつけるからには、切り口にもう少し梅の花がありゃあ良いようなもんじゃあ、ありませんか。」
「そこが、お前さん、浅はかと言うんだよ。」
「へっ?」
「分からんか。」
「へぇ。」
「お前さんの見方が単純だと言っておる。うむ。単純と言うより平面的と言うべきか。」
「何ですぃ。その短筒とか、塀面敵とか言うのは。いくさとか忍術の話ですかい。」
「そうではない。もっと、良く考えてごらん、ということさ。お前さん、いまさっき、見ていたのは羊羹の切り口だろう。」
「へい、そうでがす。あっしとしては、清水の舞台から飛び降りたつもりで厚く切ったんですが。見える小豆が四、五個じゃあ、ちょい淋しいでやんしょう。」
「その切り口で、四、五個見えるということは、羊羹一棹全部であれば、それなりの数になるのではないか。」
「えー、まあ、そうです。」
「羊羹一棹が梅の木一本にあたると考えてはどうかな。羊羹は金太郎飴ではないのだから、どこを切っても同じような図柄が見えるという訳にはいかぬ。羊羹一本一本が微妙に異なるだろうし、それぞれ切るところによっても、見える小豆(梅の花)の数、位置、形が違うだろう。それがその羊羹の個性というもので、そのままその「夜の梅」の木の個性ということになる。つまり、例えば羊羹一棹に小豆五十粒が入っていたら、それには花が五十輪咲いている梅の木が埋まっている、と思ってごらん。その羊羹を切った時に、その切り口に小豆が四、五個(梅の花が四、五輪)しか見えないとしても、その奥に四十何つぶ(四十何輪)埋まっていて、それらが別の切り口で見えてくる、と想像するのさ。それが立体的なものの見方というものだ。」
「へぇ~、そんなもんですかね。羊羹に個性があるとは知らなんだ。
ところで、羊羹って作られるようになったのは、随分昔なんでしょうね。」
「そうだな。Wikipediaによると、初めの頃に作られたのは蒸羊羹だったのだが、1589年(天正17年)に和歌山で、寒天に餡を加え棹状に固めた練羊羹が考案され、広まったということらしい。」
「へぇ~、天正。天正ってぇとローマに少年使節が送られたころですね。」
「左様。少年使節が帰国したのが1590年。織田信長が本能寺の変で殺されたのが1582年だ。もっとも、練羊羹は寛政期(18世紀後半)に江戸の菓子職人が作ったという説もあるようなので、どちらが正しいかは分からない。」
「ご隠居さん、安政の羊羹の話はご存知ですかい。」
「むむ、安政とな。安政というと、井伊大老による安政の大獄があり、その反動で桜田門外の変が起きたころじゃな。さーて、どんな話かな。」
「こないだ、寄席で噺家がしゃべってたんですが、客が来たときに、主人が奥様に、安政の羊羹を出しなさい、と言うんですよ。」
「ふむふむ。しかし、そんな古い羊羹は食べられないだろう。」
「へえ、客もそう言うんですが、主人が答えていわく、羊羹は全部餡製です。
お後がよろしいようで。」
(Nick@土曜日に親知らずを抜かれた (;_;) )
PS 谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」に書かれている羊羹についての賛辞を引用しようと思ったのですが、ご隠居とNickの珍問答のお蔭で時間とスペースがなくなりました。またの機会に・・・って言うかぁ、Webで「陰翳礼賛+羊羹」で検索してみて下さい。沢山記述が見つかります。
PPS 夜のシリーズでおまけ
夜の沈丁花 ― 闇の中にあの香りが漂ってくると嬉しい
夜の白木蓮 ― 花明り
昨日、今日とぽかぽかの暖かさで、花々が一斉に咲きました。22日(土)には東京でソメイヨシノが開花したそうで、春も本番ですね。主役交代ということで、これまで目を楽しませてくれた梅の花期も終わりに近づいています。いま元気に咲いている木もありますが、大半はもう散っています。梅は別名、春告草とも呼ばれるそうなので、十分に春を告げて役目を果たした、ということでしょうか。
梅に関連して、当方下記のような文章を昨年1月22日のブログ記事に、書きました。
・・・梅はもう咲いています。横浜でも府中市でも、多分日当たりが良い場所に
植わっている木だろうと思いますが。最初は1-2輪が目立たずに、そのうち
三々五々まつげのようなおしべを震わせて冬空の下で(艶やかさを内に秘めつつ)
凛として咲きます。
その周りには、細い枝に小さい蕾たちがぽぽぽぽぽぽっと鈴なりになっていて、
自分の番が来るのを今や遅しと待っています。
余談ですが、この時期勤め先からの帰宅途中に梅の下を通りその香りをかぐと、
とらやの「夜の梅」を食べたくなります。(当方、自分はあまり甘党ではないと思って
いますが、分厚く切った「夜の梅」を歯でにゅたっと噛み、塊りを頬ばると、口の中に
甘さと香りが広がるのが快感です。)あのネーミングは良いと思う。・・・
そう、そのネーミングのことですが、上記の記事を書いた時点では、当方どうして羊羹に「夜の梅」という名前が付けられたか、理由を知りませんでした。その後、若い友人Hさんの奥様に命名の由来を教えられ、ほーそうかぁ、と思った次第。これは、とらやのホームページにも出ていますので、その文章をここに記しますと、
・・・「夜の梅」の銘は、羊羹の切り口の小豆が、夜の闇にほの白く咲く梅を
表すことから付けられました。元禄7年 (1694) に初めて記録の出てくる古い
菓銘で、羊羹としては文政2年 (1819) の記録が最初のものです。
大正12年 (1923) には商標登録を済ませ、今日ではとらやを代表する商品と
なっています。
・・・なのだそうだ。
そこで、物見高いNick としては、是非「夜の梅」と「夜の闇にほの白く咲く梅」を見比べてみたい~、との想いにかられまして、今年やってみました。
「夜の梅」と言うと、例えば、こんなイメージがあります。
でも、これらはフラッシュでの撮影なので、くっきり見えすぎる。
「夜の梅」が羊羹の名前として文献に出てくるという文政2年 (1819) のころには街灯はなかった(あっても行燈風のもの)でしょうし、提灯の明かりや月明かり星明りで見える程度で、夜の闇にほの白く咲く、というのだと、こんな感じでしょうか。
しかし、こんなにたくさん小豆が入っている訳はないので、う~む、
数としては・・・ これ位かな。↓
それで、確かめるため、とらやの羊羹「夜の梅」を買って来た。
小さい板状のものや、細い棹のものもありましたが、やはり口中に頬ばるためには、太棹でなけりゃ、と頑張ってこれを買いました。桐の箱?に入った更に巨大な棹もありましたが、それにはさすがに手が出なかった(ぐすっ)。
包装紙を外すと、竹の皮の包みが現れる。
竹の皮を剥(は)ぐと、フォイル紙に密封された羊羹があり、フォイル紙を剥(む)くと、黒くつややかな羊羹の肌が露わになる。さあ、いよいよ入刀です(・・・って結婚披露宴じゃないんだから)。
ここですね。切り口の小豆が、ほの白く・・・。う~む、夜の闇ばかりのような気がする。真っ暗だ。白梅はどこ?
実際の梅でいうとこんな感じか。
あ、それでも良く良く見ると・・・
5個ほどあるのが分かる。
この角度の方が白梅っぽく見える、かな。
実際の梅では、これくらいか。
期待としては、もう少し多い梅が見えたかった(上に掲げた4枚目の写真くらい)ので、ちょっと残念だ。
「おい、おい Nick さん。」
「おっ、ご隠居さん。こりゃどうも。」
「どうもじゃないよ。いま聞いていれば、何ですか。梅が少ないとか、文句を言っていたな。」
「あれっ、聞こえちゃいましたか。いや、そうなんですよ。『夜の梅』って名前をつけるからには、切り口にもう少し梅の花がありゃあ良いようなもんじゃあ、ありませんか。」
「そこが、お前さん、浅はかと言うんだよ。」
「へっ?」
「分からんか。」
「へぇ。」
「お前さんの見方が単純だと言っておる。うむ。単純と言うより平面的と言うべきか。」
「何ですぃ。その短筒とか、塀面敵とか言うのは。いくさとか忍術の話ですかい。」
「そうではない。もっと、良く考えてごらん、ということさ。お前さん、いまさっき、見ていたのは羊羹の切り口だろう。」
「へい、そうでがす。あっしとしては、清水の舞台から飛び降りたつもりで厚く切ったんですが。見える小豆が四、五個じゃあ、ちょい淋しいでやんしょう。」
「その切り口で、四、五個見えるということは、羊羹一棹全部であれば、それなりの数になるのではないか。」
「えー、まあ、そうです。」
「羊羹一棹が梅の木一本にあたると考えてはどうかな。羊羹は金太郎飴ではないのだから、どこを切っても同じような図柄が見えるという訳にはいかぬ。羊羹一本一本が微妙に異なるだろうし、それぞれ切るところによっても、見える小豆(梅の花)の数、位置、形が違うだろう。それがその羊羹の個性というもので、そのままその「夜の梅」の木の個性ということになる。つまり、例えば羊羹一棹に小豆五十粒が入っていたら、それには花が五十輪咲いている梅の木が埋まっている、と思ってごらん。その羊羹を切った時に、その切り口に小豆が四、五個(梅の花が四、五輪)しか見えないとしても、その奥に四十何つぶ(四十何輪)埋まっていて、それらが別の切り口で見えてくる、と想像するのさ。それが立体的なものの見方というものだ。」
「へぇ~、そんなもんですかね。羊羹に個性があるとは知らなんだ。
ところで、羊羹って作られるようになったのは、随分昔なんでしょうね。」
「そうだな。Wikipediaによると、初めの頃に作られたのは蒸羊羹だったのだが、1589年(天正17年)に和歌山で、寒天に餡を加え棹状に固めた練羊羹が考案され、広まったということらしい。」
「へぇ~、天正。天正ってぇとローマに少年使節が送られたころですね。」
「左様。少年使節が帰国したのが1590年。織田信長が本能寺の変で殺されたのが1582年だ。もっとも、練羊羹は寛政期(18世紀後半)に江戸の菓子職人が作ったという説もあるようなので、どちらが正しいかは分からない。」
「ご隠居さん、安政の羊羹の話はご存知ですかい。」
「むむ、安政とな。安政というと、井伊大老による安政の大獄があり、その反動で桜田門外の変が起きたころじゃな。さーて、どんな話かな。」
「こないだ、寄席で噺家がしゃべってたんですが、客が来たときに、主人が奥様に、安政の羊羹を出しなさい、と言うんですよ。」
「ふむふむ。しかし、そんな古い羊羹は食べられないだろう。」
「へえ、客もそう言うんですが、主人が答えていわく、羊羹は全部餡製です。
お後がよろしいようで。」
(Nick@土曜日に親知らずを抜かれた (;_;) )
PS 谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」に書かれている羊羹についての賛辞を引用しようと思ったのですが、ご隠居とNickの珍問答のお蔭で時間とスペースがなくなりました。またの機会に・・・って言うかぁ、Webで「陰翳礼賛+羊羹」で検索してみて下さい。沢山記述が見つかります。
PPS 夜のシリーズでおまけ
夜の沈丁花 ― 闇の中にあの香りが漂ってくると嬉しい
夜の白木蓮 ― 花明り



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